2021年5月19日水曜日

第400回ヌマシンSG「坂部隆芳展」

芸術発信の拠点ぬましんストリートギャラりー 400回目作品展 来月4日まで 坂部さん(沼津出身)油彩画節目飾る  沼津市の沼津信用金庫本店にある「ぬましんストリートギャラリー」の展示会が、400回を迎えた。中心市街地にある仲見世商店街の一角から、地域の芸術・文化の発信拠点として約30年にわたって多彩なジャンルの作品展示を続けている。担当者は「第一線で活躍する芸術家の作品を地方で楽しめるギャラリーとして活動を続けたい」と話す。  同信金は、1987年11月に本店を新装した際に、市民に芸術に触れてもらう機会をつくろうとウインドギャラリーを設けた。洋画や日本画、彫刻や書など各分野の著名作家や新鋭作家の作品を展示し、世界的な美術家草間弥生さんの作品展も開いた。白隠禅師や沼津兵学校に関ずる企画展を行うなど、沼津の文化の掘り起こしにも貢献している。  400回目となる今回はパリを拠点に活動する沼津市出身の画家坂部隆芳さんの作品展を6月4日まで開いている。「神」を題材にした油彩画9点が並び、滝や木をモノトーンで厳かに表現した作品が通行人の目を引いている。  同ギャラリー企画・運営責任者の溝淵俊次さん(74)は「海外での活躍がめざましく、節目にふさわしい地元の画家。沼津の人たちに見てもらいたい」と話した。 (東部総局・山川侑哉) 【静新令和3年5月19日(水)朝刊21面】

2021年1月13日水曜日

ぬましんストリートギャラリー第396回「白隠禅画展」

沼津信用金庫ストリートギャラリー第396回 「白隠禅画展」  「沼津には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と称えられ、特に高い学識と人格を持った僧にのみ贈られる名誉な称号「国師」(こくし)を明治天皇より与えられた名僧白隠慧鶴禅師 東海道原宿に生まれ、各地を行脚した後に五〇年近くわたり住職を務めた沼津市原の松蔭寺や、産湯の井戸など、禅師ゆかりの地は没後二五〇年経った今でも大切に残されています。  民衆の教化として禅師が残した数々の独特な禅画や墨痕は、誰にでも親しみやすいように「禅」の心を教え導きました。 その志を称えた本展覧会は、禅師の残した熱い思いをより多くの皆様にご鑑賞頂ける機会となるように企画したものです。  大変貴重な書画の数々を是非間近でご覧下さい。 御来廊お待ち申し上げます。  白隠禅師略年譜 ※『白隠禅師墨蹟集』の年譜を元に作成  一六八五年(貞享二)一歳・・・・・ 十二月十五日、駿河国駿東郡原宿の長沢家に第五子・三男として誕生。幼名岩次朗。  一六九六年(元禄九)十二歳・・・・・: 鍋冠り日親の人形浄瑠芝居を観て、法華経の威力に感嘆し、出家を志す。  一七〇四年(宝永元)二十歳・・・・・ 美濃瑞雲寺の馬翁和尚に師事する。 母(妙遵日善)の卦報を受ける。  一七一〇年(宝永七)二六歳・・・・・ 病魔に犯され、洛東白川山中の 白幽真人から内観の秘法を授かる。  一七一七年(享保二)三三歳・・・・・ 松蔭寺の住職となる。 父(乗心宗奔)没。  一七一八年(享保三)三四歳・・・・・花園第二座に転じ、白隠と号す。 一三七五年(元文二)五三歳・・・・他山(伊豆川津の林際寺)の拝請で『碧巌集』を提唱する.その後、東嶺はじめ古月会下の雲柄が白隠の下に参集する。 一七五一年(寛延四)六七歳・・・・・ 上洛妙心寺∴微笑塔を拝塔。塔頭「養源院」で『碧山厳集』を提唱。他大雅が来参す。  一七六〇年(宝暦十)七六歳・・・・・ 沢地龍澤寺で開山の儀を成す。東嶺圓慈に嗣席を命ず。  一七六四年(明和元)八〇歳・・・・ 松蔭寺を遂翁元盧に託す。 一七六八年(明和五年)八四歳・・・・十二月十一日暁旦に遷化。十五日葬送、十六日火葬. 一七六九年(明和六)・・・・・後桜町天皇より上機独妙の禅師号を諡される。

2020年12月10日木曜日

ぬましんストリートギャラリー第395回 三船敏郎生誕百周年記念映画ポスター展

三船敏郎の生誕百周年を記念し  Sギャラリーでオリジナルの映画ポスター展  世界的映画俳優三船敏郎生誕百周年記念オリジナル映画ポスター展」が26日まで、大手町のぬましんストリートギャラリーで開催されている。  同ギャラリー西側を南北に通る上本通りは、明治22年に東海道本線が開通すると、飲食、娯楽の街一として栄え、戦後は映画館10館が並ぶ、にぎやかな通りとなった。現在の沼津信用金庫本店は「沼津文化劇場」の跡地で、同劇場は東海道最初の洋画封切館だった。  今回で第16回となる「昭和モダン・シネマと商店街」の展示では、三船敏郎の代表作のオリジナルポスター29枚を展示。磐田市在住の日本有数の映画ボスター収集家、研究家からの協力によって行われている。  三船は1920年生まれで、47年に映画デビュー。黒沢明監督と組んで「羅生門」「七人の侍」「赤ひげ」など多数の名作を生み出し、日本を代表する映画スターになった。  また、海外の映画にも出演すると「世界のミフネ」として人気となり、86年には紫綬褒章を受章した。  展示を見ていた男性は「見たことのある懐かしい映画のポスターばかりで、つい足を止めて見入っていた」と話した。  夜10時までライトアップされて見ることができる。 【沼朝令和2年12月15日(火)号】