2010年5月21日金曜日

花華会植栽作業5月21日朝

インパール作戦


 高架化事業は「インパール作戦」
京都府立大 宗田好史准教授が講演
 各地で後始末に追われ
 行政描く像とは異なる現実


 沼津市商店街連盟(芦川勝年会長)は十八日、公開セミナーをブケ東海で開催。京都府立大の宗田好史准教授による「中心市街地の創造カー暮らしの変化をとらえた再生への道」と題する話を聴いた。宗田准教授は、京都市をはじめとした各地で、まちづくり委員として大型店舗の出店規制にかかわり、中心市街地の活性化など商業都市計画に取り組む一方、観光に関する研究と実践的活動を続けている。
 宗田准教授は、三ケ日町(現浜松市北区)生まれの五十四歳。浜松北高から法政大工学部建築学科、同大学院を経てローマ大学大学院などで都市・地域計画学を専攻し、歴史都市保存計画、景観計画を研究。国連職員を経て一九九三年から現職。工学博士。
 教員の傍ら、休日には三ケ日でみかんを栽培しているという宗田准教授。子ども時代、沼津駅から三津の水族館へ行って修善寺温泉に宿泊し、熱海を経由する旅行の思い出を語った。
 本題に入ると、現在は、高度経済成長期と違い、工場誘致や工業団地を造る時代ではない、とするところから話を始めた。
 全国の地方都市では中心市街地が空洞化。人口が減り、店舗が消えている。政令指定都市でも札幌、仙台、新潟、浜松などで中心市街地の商業が衰退しているが、中核市は、ほぼ全滅。さらに特例市は厳しく、沼津も大苦戦している、として、一九%の店舗がシャッターを下ろしている点に言及。
 東京などでは都心回帰が進むが、郊外の開発を進めた多くの地方都市と同様の危機が沼津に忍び寄っている、として「沼津の商業も大転換期にある」と指摘。
 明治以降の沼津の歴史を振り返り、一八八九年の東海道線開通によって駿東・伊豆最大の流通拠点となって都市として成長したが、「現在、都市と呼べるのは東京しかない。一極集甲のせいだ」との考えを示した。
 「『沼津は新幹線駅がないからさびれた』と言う人がいるが、(一九六四年に新幹線駅が開設した)三島も(八八年に出来た)富士も栄えていない」とし、沼津は東名高速の開通によって首都圏製造拠点になったが、その要因は水資源と優秀な労働力にあったと分析。続いて、沼津市中心市街地活性化基本計画を取り上げ、うたい文句の「人が輝き躍動するステージ」については、「その通り」だとする一方、高次都市機能の集積を理由に沼津駅北口に会議場を建設する計画に対しては「新幹線が止まらないのに…」と疑問を呈した。
 また、鉄道高架事業については、「ハコモノを造れば人が集まると勘違いしていないか。(沼津駅前再開発ビルの)イーラdeで懲りているのではないか」とチクリ。
 鉄道を高架にする連続立体交差事業は各地で後始末しなければならない事例が多い、とした上で、「業界では『インパール作戦』と呼んでいる」と、第二次大戦で兵たん補給を軽視したずさんな作戦によって歴史的敗北を喫し、「無謀な作戦」の代名詞ともなっている同作戦を挙げた。
 また、「連続立体交差は、行け行けドンドン、その責任は誰も取っていない。(完成しても)その周りは駐車場だらけとなる」と、行政などの推進派が描く将来像とかけ離れていることを示した。
 「区画整理で土地を売って現金を手にした人も、その金を地元で使うことなく東京の不動産を買うなどして首都圏に吸い上げられる。沼津にとっては惨憺(さんたん)たるもの」だとした上で、「事業を推進する人が事業資金を用意すべきで、総額千六百億円かかるなら地元が五百億円ほど投資すべきだ。それができなければ経費を削るべきだ」と主張。
 さらに、市や県の財政、国庫補助には鉄道高架事業の負担に耐える体力が残っているのか、また将来の市街地像が明確に共有化されているか、と不安視する一方、沼津市は高校が多いことから中心市街地に若者が多いとの感想を述べ、「その有利をいかに生かすか」が課題だとした。
 都市・地域計画の課題は、四十年後に日本の総人口が一億人を割り、その四割が高齢者となり、少子化による労働力の減少、農山村・郊外の空洞化が見込まれる中で、発想の転換の必要性を示唆。戦後六十年、毎年、百万人の都市が一つずつ増えた時代が去り、これからは毎年、七十万人都市が一つずつ消えていく時代だという。
 沼津市の人口は、二十五年後には現在の四分の三の十五万七千人に減少すると予測されているが、合計特殊出生率の低下により「人口減少は止めようがない」と指摘。
 また道路網の整備などによる流通革命は現在も続いているが、郊外大型店舗が永遠に続く保証はなく、「東京では再都市化(都心回帰)が起きている。(沼津は)魅力ある街をいかに造るかが問題」だとした。
 さらに、消費構造が変わったこと、共働き家庭が増え、家で料理をしなくなったことにより加工食品購入費と外食費が大幅に増加している反面、生鮮食品の消費量が減少していることを挙げた。
 都心回帰が起きている都市では、最初に個人の飲食店が増え、次いで美容院、コンビニエンスストア、最後にファッションの個店が出来てにぎわいを取り戻していることを指摘する宗田准教授は、「『再開発ビルを建てればデパートが入る』と考えるのは勘違い」だとして行政の再開発ビル頼みによる都市政策を批判。
 続いて、にぎわいある都市はなぜ必要か、行政と商業組織・個店の役割分担、都心商業が再生する行政と民間の方策は何か、個性と活力あふれる地方都市の再生、都心ににぎわいが生まれる工夫などについて解説。
 「道路網整備によって商業形態が変わったことを理解しなければ商売は成り立たない。きれいな街を造れば新規投資が起き、店の種類が増えて店舗数も増える」とし、飽きずに続けることが「商い」だという封建的な考えを捨てるよう説いた。
最後にピーター・ドラッカーの「小売業は変化対応業」だという言葉を挙げた。
(沼朝平成22年5月21日号)