2021年1月13日水曜日

ぬましんストリートギャラリー第396回「白隠禅画展」

沼津信用金庫ストリートギャラリー第396回 「白隠禅画展」  「沼津には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と称えられ、特に高い学識と人格を持った僧にのみ贈られる名誉な称号「国師」(こくし)を明治天皇より与えられた名僧白隠慧鶴禅師 東海道原宿に生まれ、各地を行脚した後に五〇年近くわたり住職を務めた沼津市原の松蔭寺や、産湯の井戸など、禅師ゆかりの地は没後二五〇年経った今でも大切に残されています。  民衆の教化として禅師が残した数々の独特な禅画や墨痕は、誰にでも親しみやすいように「禅」の心を教え導きました。 その志を称えた本展覧会は、禅師の残した熱い思いをより多くの皆様にご鑑賞頂ける機会となるように企画したものです。  大変貴重な書画の数々を是非間近でご覧下さい。 御来廊お待ち申し上げます。  白隠禅師略年譜 ※『白隠禅師墨蹟集』の年譜を元に作成  一六八五年(貞享二)一歳・・・・・ 十二月十五日、駿河国駿東郡原宿の長沢家に第五子・三男として誕生。幼名岩次朗。  一六九六年(元禄九)十二歳・・・・・: 鍋冠り日親の人形浄瑠芝居を観て、法華経の威力に感嘆し、出家を志す。  一七〇四年(宝永元)二十歳・・・・・ 美濃瑞雲寺の馬翁和尚に師事する。 母(妙遵日善)の卦報を受ける。  一七一〇年(宝永七)二六歳・・・・・ 病魔に犯され、洛東白川山中の 白幽真人から内観の秘法を授かる。  一七一七年(享保二)三三歳・・・・・ 松蔭寺の住職となる。 父(乗心宗奔)没。  一七一八年(享保三)三四歳・・・・・花園第二座に転じ、白隠と号す。 一三七五年(元文二)五三歳・・・・他山(伊豆川津の林際寺)の拝請で『碧巌集』を提唱する.その後、東嶺はじめ古月会下の雲柄が白隠の下に参集する。 一七五一年(寛延四)六七歳・・・・・ 上洛妙心寺∴微笑塔を拝塔。塔頭「養源院」で『碧山厳集』を提唱。他大雅が来参す。  一七六〇年(宝暦十)七六歳・・・・・ 沢地龍澤寺で開山の儀を成す。東嶺圓慈に嗣席を命ず。  一七六四年(明和元)八〇歳・・・・ 松蔭寺を遂翁元盧に託す。 一七六八年(明和五年)八四歳・・・・十二月十一日暁旦に遷化。十五日葬送、十六日火葬. 一七六九年(明和六)・・・・・後桜町天皇より上機独妙の禅師号を諡される。