2012年6月30日土曜日

商都沼津に衝撃 上 静新囲み記事

商都に衝撃 上 西武沼津店閉店  薄れるステータス 官民で打開策探る  西武沼津店の閉店発表翌日の28日、沼津商工会議所の2階会議室は重苦しい雰囲気に包まれた。沼津市中心市街地活性化協議会の本年度初会合。事業報告など定例の議案承認に続き、西武撤退後の対策を検討する小委員会の設置案を急きょ上程し、決議した。  「こうなることはうすうす気付いていた。宿題をやってなかった子供のような気持ち」「危機をチャンスに変えるという選択肢しかない」。市内の経済団体などを代表する委員の口からは、自己批判を含む厳しい意見が相次いだ。  西武沼津店がピーク売り上げの206億円を記録した1992年2月期に、沼津市の中心商業地の大型店の総店舗面積は約7万平方㍍あった。現在は1割減の約6万3千平方㍍。ただ、このうち約1万1千平方㍍を占める富士急百貨店は2010年から営業規模を大幅縮小したまま。西武沼津店(約9800平方㍍)の撤退後は実質で20年前の6割程度まで減る。  「丸井(04年閉店)、東急(ホテル、11年撤退)、西武と全国ブランドが消える。街のステータスも薄れる」。駅南口の個人事業主はそうつぶやき、「西武の件で商業者の意識は高まった。何か起こすなら今だ」と言葉に力を込めた。  協議会はこれまで、市中心市街地活性化基本計画の審議に加え、先進例の調査、セミナーなどを重ねてきた。直近では今月8日、大分市から講師を迎え、まちづくり会社による空き店舗対策の実例を学んだ。会長を務める市川厚沼津商議所会頭は「勉強ばかりで行動が追い付いていなかったという思いがある。完壁な計画ではなくても、可能な部分から実践へと踏み出したい」と強調する。  協議会が設置した小委員会「まちづくり部会」は今後、栗原裕康市長が27日に立ち上げた庁内組織「沼津駅前都市機能検討委員会」と連携し、中心市街地の再生策を練る。  あるデベロッパーは「駅前に閑散とした感はあるが、沼津市としての購買力は依然高い。郊外、中心部とも出店希望は多い。だが、民間だけで中心街を再生するのは困難。行政が従来にも増して覚悟を見せるべき」と指摘した。  ◇  JR沼津駅南口で半世紀以上にわたり「商都の顔」を担った西武沼津店が来年1月に閉店する。かつて商圏人口120万人を誇った沼津の中心商業地は、郊外店の台頭、大型店の撤退などで縮小の一途だ。都市の玄関と商業の再生は可能なのか。復権を目指す動きを探る。 (静新平成24年6月30日朝刊)

2012年6月28日木曜日

西武沼津店撤退関連28日静新・沼朝記事

収支改善せず決断 西武沼津店閉店  来年1月末営業終了 市などに報告  西武沼津店(沼津市大手町)の閉店方針を固めたセブン&アイ・ホールディングス傘下のそごう・西武(東京都、山下国夫社長)は27日、同店の営業を2013年1月末で終了することを正式決定し、沼津市、沼津商工会議所などに報告した。  沼津入りした松本隆取締役専務執行役員が栗原裕康市長、市川厚会頭らに説明した。市長と会頭はともに、閉店方針の再考を要請したが、撤回は難しいとみられる。西武沼津店が閉店すれば、富士市以東の県東部から百貨店はなくなる。  同社は撤退の主要因に同店の業績不振を挙げた。ピークの1992年2月期は206億円を売り上げたが、郊外型商業施設の台頭などで2012年2月期は、そごう・西武の26店舗中最下位の74億円まで縮小した。損益面では10年2月期以降、3年連続で約1億円の赤字を計上した。フロアの手狭さ、老朽化なども懸案だった。  松本取締役は栗原市長との面談後に取材に応じ、「コスト低減のさまざまな努力をしたが至らず、断腸の思いで閉店を決めた」と述べた。  西武沼津店では約660人が働いている。このうち、そごう・西武が管理する正社員、契約社員の計180人はグループの他店舗への配置換えなどで対応する。残りのテナント従業員などについても「できる限り再就職の支援をする」(山本辰美店長)という。  1957年開業の西武沼津店は西武百貨店の地方第1号店。長年、街のランドマークの役目を果たしてきた。市川会頭は「撤退後の利活用は非常に重要な案件。地元商店街とともにまちづくりの在り方を考えていく」と話した。  駅前都市機能検討委を設置 沼津市  西武沼津店(沼津市大手町)の撤退決定を受け、沼津市の栗原裕康市長は27日、中心市街地の活性化と都市機能の再生・集積に向けて協議する、沼津駅前都市機能検討委員会」を庁内に設置した。  「(西武沼津店は)沼津の顔。企業の経済活動とはいえ、行政として放置するわけにはいかない」ー。栗原市長は同日午前の定例会見で、JR沼津駅前の再生に全力を注ぐ必要性を強調した。  中断状態が続いている沼津駅付近鉄道高架事業と西武撤退の因果関係については「断定できない」と否定した。そごう・西武側には今後も慰留を続けるとしたが、「非常に厳しいと思う。(同委を中心に)跡地をどうしていくかということも視野に入れながら検討しないとまずい」と危機感を露わにした。  同委員会は今後、沼津商工会議所や地元の地権者らとの連携を密にしながら、店舗の跡地利用なども視野に入れて検討に入る。  駅前の空洞化懸念 県百貨店協会長  県商業まちづくり室によると、西武沼津店が撤退すると県内の百貨店(県百貨店協会加盟店)は、最盛期の7店舗から3店舗まで落ち込む。県百貨店協会の丹羽亨会長(松坂屋静岡店長)は「駅前立地で高コスト体質の百貨店はどこも厳しい。ひとごとではなく、変革していかなくては」と危機感を示した。  百貨店は郊外型の大型店などとの激しい価格競争にさらされてきた。インターネット販売などで購買スタイルも大きく変化。百貨店は地方都市の不採算店舗で閉鎖が続く。県内は遠鉄百貨店(浜松市)が開店した1988年から西武浜松店が撤退した97年までが最盛期。西武沼津店の閉店後は松坂屋静岡店、静岡伊勢丹、遠鉄百貨店の3店舗のみとなる。  丹羽会長は「百貨店撤退は駅前の空洞化を一層進ませてしまう。行政と街が一体となって魅力づくりをしていかなければ、百貨店の"選択と集中"はさらに進む」と指摘する。 《静新平成24年6月28日(木)朝刊》 衝撃走るー西武沼津店撤退へ  来年1月31日で営業を終了  大激震走るー西武沼津店撤退へ。そごう・西武は二十七日、西武沼津店の営業を来年一月三十一日で終了することを同日の取締役会で決定した。日本経済新聞が二〇一〇年一月二十七日付の紙面で西武、そごうの各地からの撤退を報じた中に西武沼津店の名も挙がり、翌一一年二月の閉鎖が言われて市内関係方面に動揺が走り、この時は直ちに打ち消されたものの、二年を経て現実のものとなる。  揺らぐ拠点性 どうする今後の回遊性  西武沼津店は昭和三十二年、地方出店の第一号として、現在の本館が開業。「沼津で東京のお買いもの」をキャッチフレーズに、市内はもちろん、周辺、伊豆方面からも買い物客を集め、その後、新館が出来、二館体制で営業を続けてきた。  しかし、車社会の到来と進展に伴って郊外へ大型店が出店。その影響を受けるとともに、近年は日本経済の落ち込みを受けてデフレが進み、消費者が日用生活雑貨、衣類、医薬品、生鮮食料品までワンストップで購入できる大型量販店などで安価な品を買う傾向となっている。  こうした事態に都市中心部にある従来型の百貨店が全国各地で苦戦。西武百貨店は県内で浜松、静岡各店を相次いで閉鎖。最古参の沼津店だけを残している。沼津市内の大型店事情も、士子屋、ニチイ、長崎屋、丸井が姿を消し、かつての消費の拠点性を失っている。  こうした状況の中で西武沼津店も苦戦は否めず、売り場の一新、物産展企画の強化など集客対策に努め、一時は増収も見せたが、さらに郊外型店との競争が強まり、各地の西武、そごうの不振店舗の整理、経営の見直しに迫られる中で、閉鎖の対象となった。  これについて栗原市長は二十七日午前に開かれた定例記者会見で、「正式には聞いていないが、本当だとしたら、まことに残念。二年前の一月に日経(日本経済新聞)がすっぱ抜いた後、三月に(西武百貨店の)社長が見えた。その時には『沼津は鉄道高架も進み、素晴らしく蘇えるので、今撤退するのは損じゃないか』と言ったら、(撤退を)止めたんです。今、難しいんじゃないかな。鉄道高架も進んでいないし」とし、この事態を想定していたかについて、「ずっと前から…十年程前から西武が出て行くという話は出ていた。百貨店は全国どこも厳しい状況だった。(今回の撤退話に)当然、できるだけなんとか頑張ってもらいたいというお願いはする。もし、どうしても撤退するということであれば、我々としても、対応を考えなければならない」と話した。  また、沼津商工会議所の木戸英寿専務理事は、「現在(二十七日午後一時半時点)事実確認をしているところだが、事実だとすれば、開業以来、五十五年間続いてきた県東部地区のポテンシャルを失うことになり、痛恨の極み」だと話した。  一方、市商店街連盟の芦川勝年会畏は一歩踏み込み次のように語った。  開業以来、五十五年間、まちのランドマークとして沼津の商業、中心市街地をけん引してきてくれたことに、まず感謝したい。二年前に撤退が報道された時には驚いたが、全国の地方都市において、百貨店の撤退が社会現象になってしまった。県内で百貨店と言える商業施設が限られた中、沼津で唯一の百貨店である西武が撤退すれば、沼津の拠点性が失われるだけでなく、精神的にも失うものが大きい。  これまでに十字屋、長崎屋、ニチイが撤退し、まちから(そうした店舗での購買層であった)婦人層が消えた。丸井の撤退で若者が消えた。黒字営業で成り立っていた丸井の撤退は、沼津が変わらない、行動してくれないという、まちづくり事業への疑問を持ったためではないかと思う。  しかし、そうした状況にあっても西武は沼津の将来性を信じ、駅周辺の基盤整備が、なかなか進まない中で、よく頑張ってきてくれた。ただ、残念なのは、沼津駅南北自由通路が暫定的にでもあれば、多少考慮の余地はあったかもしれないということ。  これから沼津駅南北の北には新しいキラメッセ、コンベンションホールが誕生するというのに駅南北の回遊性を確保していかないと中心市街地としての存在価値が揺らぎ、暖昧なものになってしまう。ここで腹をくくらないと、駅南北の空いた土地に資本投下しようという企業も現れないだろう。  西武は長年、中心市街地における回遊性の一翼を担ってくれた。閉鎖は、まことに残念。 《沼朝平成24年6月28日(木)号》

2012年6月27日水曜日

西武沼津店閉鎖へ

西武沼津店閉鎖へ 2013年初め、経営効率化(2012/6/27 12:46)  セブン&アイ・ホールディングスは27日、傘下のそごう・西武が運営する百貨店、西武沼津店(沼津市)と、そごう呉店(広島県呉市)を来年初めに閉鎖する方針を固めた。  郊外型の大規模ショッピングセンターなどとの競争が激化し、両店の売り上げは苦戦していた。セブン&アイはことし1月にも、そごう八王子店(東京都八王子市)を閉鎖している。  そごう・西武は、西武池袋本店(東京都豊島区)など都心部の主力店へ経営資源を集中し、不振店舗の閉鎖により経営効率化につなげたい考え。両店の従業員は、そごう・西武の全国の他店舗を中心に配置転換する。  今回閉鎖する西武沼津店は、1957年開業で売り場面積が約9700平方メートル、そごう呉店は90年開業で同約2万1千平方メートル。2012年2月期の売上高はそれぞれ74億円、89億円で、それぞれピーク時から6~7割の減収となり赤字基調が続いている。  西武池袋本店の改装効果もあり、収益力は改善傾向にある。そごう・西武(単体)の12年2月期決算は、売上高が1・9%減の8303億円だったのに対し、営業利益は51・1%増の111億円と大幅増益だった。 「シンボル消える」西武撤退  沼津 商業関係者に衝撃  ひときわ大きなシンボルが消えるー。セブン&アイ・ホールディングスが西武沼津店の撤退方針を固めたことが明らかになった27日、沼津市の商業関係者らは衝撃を隠さなかった。2004年には丸井沼津店が閉店し、富士急百貨店も大幅縮小したまま。沼津市中心部の商業空洞化が一段と進むことが懸念される。  市商店街連盟の芦川勝年会長は「開業から55年間、街とともにあった西武さんに感謝したい」とした上で、「街の集客機能や回遊性について、これまで以上に危機感を持って考えなければならない」と厳しい表情を浮かべた。JR沼津駅の南北を結ぶ暫定自由通路を早期に開設すべきと強調した。  西武沼津店は2010年にも撤退話が持ち上がった。市川厚会頭は「中心街をどうするかの議論や勉強は重ねながらも、具体的な行動につながっていなかった。撤退を引き留められなかったのは、われわれの努力が足りなかった」と苦汁の様子。市や沼津商工会議所の中心市街地活性化に向けた取り組みは、JR沼津駅南口の最大の核である西武の存続を前提にしてきた。市川会頭は「当然、練り直しが必要。従来以上にスピード感をもってあたる」と力を込めた。  沼津市役所は情報確認に追われた。栗原裕康市長は「(撤退が)本当のことであれば大変残念。情報を確認している」とコメントした。  市民も撤退を重く受け止めた。沼津駅前を散歩していた同市下香貫の平尾良威さん(72)は「昔から家族で来る機会が多いなじみの店で、なくなるのはショックだ。JRの特急あさぎりの撤退など沼津は寂しい話が続き過ぎ」と話した。 (静新平成24年6月27日夕刊)

西武沼津店来年初め撤退

西武沼津店来年初め撤退。 二年前の日経の記事が現実となる。 会社側が6月27日午後沼津市役所に説明に来るとの事。 NHKの記事URL