2011年12月13日火曜日

「氷壁」上映会(沼朝記事)

希少フィルムで「氷壁」上映  昭和モダン・シネマと商店街  上本通り商店街振興組合(長谷川徹理事長)は、「第7回昭和モダン・シネマと商店街」映画上映会を十日、大手町の沼津信用金庫本店四階大ホールで開催。七十歳代を中心に三百人近い人が集まり、昭和三十三年封切りの「氷壁」を鑑賞した。  この企画では地元に縁のある懐かしの映画の上映を毎年行っており、今回は井上靖原作作品を取り上げた。上映にあたり遠藤忠男実行委員長は、カラー映画だが、五十年以上を経て他の色が落ち、赤色が強調された画像であることを説明。  「(同企画は本来の)フィルムで上映するのが目的。一六㍉フィルムだが、存在しているのは日本で、これ一本しかない」と話した。  氷壁を登っていて、切れるはずのないナイロン・ザイルが切れたために死亡したという実話を基にした小説の映画化で、来場者は上映が終わると盛んに拍手していた。 (沼朝平成23年12月13日号)

2011年12月10日土曜日

懐かしの名画「氷壁:井上靖原作」上映会

平成23年12月10日(土)午後。 沼津信用金庫本店4階大ホールにて、上本通り商店街主催の懐かしの名画「氷壁:井上靖原作」上映会が開催された。 開場1時30分が、多くの市民の行列が12時30分ごろから始まり、1時に開場した。 開演2時の予定が、1時30分には会場が満席(約300人)となり、15分繰り上げて遠藤実行委員長の挨拶後、上映が始まった。 映画終了まで、誰一人退席することなく、「氷壁」を鑑賞された。

2011年12月2日金曜日

窃盗の疑い  沼津署は1日、窃盗の疑いで裾野市深良2610の34、無職畔柳克利容疑者(38)を現行犯逮捕した。逮捕容疑は同日午前10時40分ころ、沼津市内の時計店でネックレス7本(計12万3千円相当)を盗んだ疑い。店から逃走直後、通行人に取り押さえられた。 (静新平成23年12月2日「事件・事故」)

2011年10月22日土曜日

花華の会23年秋の植栽作業

上本にゅーす23年10月号


花華の会


 かみほん癒しのストリート
 上本通り花壇で花苗の植え替え

 花華の会(鈴木ますえ会長)会員らは二十一日、「かみほん癒しのストリート」をテーマに上本通りで花壇づくりを行った。
 同会は黄金週間明けと十月下旬の年二回、上本通り商店街振興組合と上本通り自治会の支援を受け、同通りと県道富士清水線(旧国道一号)の交差点花壇の南側二カ所と上本通り沿いで花壇づくりを行っている。
 今年で四年目となる作業には会員、組合員、自治会員の十五人が参加。事前に耕しておいた花壇に、配色を考えながらビオラとノースポールのポット苗約千五百鉢を植えた。
 また、十一月五日には同自治会内の小中高校生を交え、上本通り沿いの花壇にチューリップの球根とパンジーを植える予定。ポット苗などの購入費は県グリーンバンクや同組合、自治会、商工会議所、市からの助成金。
(沼朝平成23年10月22日号)

2011年9月29日木曜日

沼津駅高架の完成時期 平成30年代半ば目標

沼津駅高架の完成時期 平成30年代半ば目標
 県議会部長答弁
 地権者らの反対で貨物駅移転問題が焦点となっているJR沼津駅周辺鉄道高架事業について、森山誠二県交通基盤部長は28日の県議会9月定例会代表質問で、「(平成)30年代半ばの完成を目指して東部地域の活性化に寄与したい」と述べ、完成時期の目標を示した。川勝平太知事が昨年1月、貨物駅移転用地の強制収用をしない方針を表明して以降、県が高架事業完成の目標時期に言及したのは初めて。公明党県議団の蓮池章平氏(沼津市)に答弁した。
 県は高架事業を検証した有識者会議の提言を踏まえ、市民参加型の合意形成手法「パブリック・インボルブメント(PI)」の導入を決定。森山部長は答弁で「まず徹底した合意形成を行う」と強調し、「事業の完成時期は一概に言えないが、PIによる合意形成、鉄道事業者との協議、その後に高架化事業着手となる」と説明した。
 高架事業は、土地区画整理事業や東部コンベンションセンター整備などを含む沼津駅周辺総合整備事業の核。川勝知事もこの日の蓮池氏への答弁で「沼津駅周辺の交通混雑や南北方向の市街地の分断など課題を抜本的に解消し、新たに生まれる土地の有効活用を図る」として意義を強調した。
 高架事業推進については、「これまで時間が止まったような状態だったが、動き始めた。前に向けて時間管理という考え方を入れ込み、着実に推進する」とした。
 森山部長は設計中の東部コンベンションセンターについて、「県の会議場、市の展示イベント施設、民間のホテルから成る全国でも数少ない総合的コンベンション施設」と指摘。県と市の施設の一体的利用に配慮するとともに、管理運営は指定管理者制度導入を前提に同一の指定管理者とする方針を明らかにした。
【静新平成23年9月29日(木)朝刊】

2011年4月19日火曜日

2011年4月7日木曜日

榊俶博士企画展(第8回代戯館まつり)


 日本精神医学、礎築く
 榊教授の業績紹介 沼津で企画展
 明治時代初期、沼津兵学校付属小学校(代戯館)で学び、後に日本の精神医学の礎を築いた榊俶(さかき・はじめ)の業績を紹介する特別企画展が10日まで、沼津市大手町の沼津信金・ぬましんストリートギャラリーで開かれている。
 企画展では、榊俶が治療を開始した東京癲狂院(てんきょういん)=現在の都立松沢病院=の沿革や、日本の精神医学の歴史などをパネルで紹介した。また榊俶のブロンズ像や著書、明治時代に精神病院で入院患者の拘束に使った手かせ、足かせも展示した。
 1857年(安政4年)、幕臣で後に沼津兵学校教授を務めた榊綽(ゆたか)の長男として生まれた榊俶は、東京帝大医学部を卒業後、ドイツで精神病学を学んだ。帰国後には同大初代精神病学教授になり、患者の権利向上や看護の改善に多大な功績を残し、精神医学の開拓者とも称されている。
 (静新平成23年4月7日朝刊)

2011年3月26日土曜日

第8回代戯館まつり



「榊俶と都立松沢病院」
 代戯館まつり特別企画展で紹介
 我が国精神病学の開拓者
 大手町の沼津信用金庫本店、ぬましんストリートギャラリーで代戯館まつり特別企画展「榊俶と都立松沢病院」が開かれている。
 榊俶(さかき・はじめ)は一八五七年、江戸下谷の生まれ。父は幕臣の榊綽(さかき・ゆたか)。維新後、徳川宗家の駿河移封に従い、榊家も駿河に移住。綽は沼津兵学校の教授となり、傲は附属小学校である代戯館の生徒となった。
 傲は後に東京帝国大学医学部を卒業してドイツに留学。帰国後、日本人としては初めてとなる精神医学の講義を行った。後、東京府巣鴨病院の医長となり、医業の傍ら多くの門下生を育てたが、三十九歳で早世。その足跡から、日本における精神病学の開拓者とも呼ばれる。
 都立松沢病院は東京都の精神科の病院。一八七九年に東京府癲狂院(てんきょういん)として設立され、その後、東京府巣鴨病院と改称。移転して東京府松沢病院となった。東京府の都制移行後、都立松沢病院となる。
 企画展では、俶や同病院の沿革を紹介するパネルのほか、俶の胸像や著書が展示されている。また、明治期に精神科病院で使用された、入院者を拘束するための手かせなども並んでおり、道行く人の目を引いている。夜は十時までライ「アップされて鑑賞できる。
(沼朝平成23年3月26日号)